大人になっても、ワクワクドキドキするって、なんて素敵なことだろう。「プロレスを教育に活かしたい」と提唱するプロレスラー幸村ケンシロウ氏と出会って3年。平成22年2月、ようやく「NPO法人教育プロレス幸村ケンシロウ」が動き出した。大事なことほど、かっこつけた言葉では伝わらない。「人を叩けば、叩いた手も痛いだろう?」「2対1はアンフェア。40対1だともっとアンフェア。それがイジメだ」「大人はリングの上に立つレフリー。悪いことは悪いと伝える義務がある」 たった6m四方のリングの中には、私たちが学ぶべき“社会の縮図”が詰まっていることを知る人は少ない。「人の痛みを理解する」「命の尊さを学ぶ」「夢や目標に向かって努力する」「社会のルールを知る」そんな社会に宿る当たり前のことを、リングを通じて伝えたい。
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リングを見つめる子どもたちの瞳の輝き。 |
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![]() 「NPO法人教育プロレス幸村ケンシロウ」代表選手理事の幸村ケンシロウです。私は、熊本県内の小・中学校を中心に、学校教育の一貫としてプロレスの試合をすることで、生の人間の「感動」や「痛み」を伝える活動を行っています。 ![]() 子どもたちとの出会いは、私にとってかけがえのない宝物です。小学生のチビッコから、金髪、ピアスの“やんちゃ坊主”まで大歓迎!「勉強できないとカッコ悪いから、オレは必死で勉強したぞ!」「金髪、ピアスもいいけど、自分で稼げるようになってからヤレ!」なんて声をかけると、子どもたちは本当に素直ないい顔をしてくれます。「夢を持ち続けて、堂々と生きろ!」という私のメッセージは、一度は忘れてしまったとしても、いつかきっと思い出してくれると信じています。 |
■1964年 | 熊本県八代市出身。小学校の卒業文集で「プロレスラーになる」と宣言。 |
■1986年 | 八代高校卒業後、熊本商科大学(現学園大学)経済学部卒業 プロレスラーになるという夢は変わらず。当時は、52キログラムのスリムな体型だったが、プロレスラーになりたい一心で筋トレと食べ続けることで、理想の身体をつくりあげる。 |
■1987年 〜 1992年 | 試練の日々 この間、父親が知人の保証人となったことで、父親の会社が倒産。倒れた父親の代わりに借金を抱え、借金返済の日々。しかし「夢は、ゼッタイにあきらめない!」。 |
■1992年 | 名古屋ダイヤモンドホールで念願のプロデビュー。 プロテストの際に、身長を高くするために頭にコブをつくり、見事合格。 |
■2002年 | 独立し、「プロレスリング求道軍(ぐどうぐん)」を立ち上げ、旗揚げ戦(対みちのくプロレス)を開催。この頃、社会貢献への思いを強くする。プロレスラーとしてできることとは一体何なのだろうかと模索の日々。地域のお祭りや、高齢者施設の訪問を始める。 |
■2009年 | 「教育のための授業プロレス開始」 教育講演会や、小・中学校でプロレスの生の体験を伝える。感動体験が教育現場に広がり、口コミで話題に。 |
■2010年 | 支援NPO法人「教育プロレス・幸村ケンシロウ」発足 賛同者の支援のもと、NPOを発足。「感動」や「痛み」など五感を通じて子どもたちに伝える活動を行っており「感動した」「命を大切にしたい」という子どもたちの声に励まされる日々。熊本県のみならず、さまざまな学校を訪問し、感動の輪を広げている。 |